【ヨコカル2019】碓氷線新線の廃線跡-軽井沢から横川まで-
こんにちは。ゴンテです。1997年(平成9年)9月30日をもって廃止されたJR信越本線の横川-軽井沢間(通称:碓氷線新線または横軽(ヨコカル))の様子を観察してきました。今回の訪問では、軽井沢駅を出たところから碓氷峠鉄道文化むらまでの間で、法令を遵守して公道上から撮影できるものに限っています。碓氷線新線のルートとの関係で、軽井沢駅から碓氷峠を降りていくトンネルまでと、国道18号本道と併走する橋梁部分の観察となります。なお、群馬県警その他団体のパトロールが行われている鉄道遺産をみんなで守りましょう。
軽井沢駅北口のバスロータリー
↑軽井沢方↑ ↓横川方↓
現在、軽井沢駅の旧上りホーム(EF63-2がきれいに留置されている)は、資料館になっていたりちょっとした建物が建っているようですが、旧下りホームの方は、しなの鉄道の発着番線として活躍し続けているのが嬉しいです。改札を出て、北口から右手に進むとバスロータリーがあり、JRバス関東の碓氷線代替バスもここから発着しています。線路沿いを横川方面に歩いて行くと、まさに廃線跡と分かる大きな架線柱が目に飛び込んできます。長らく碓氷線の線路群が残されていましたが、土地の活用を図るため数年前からタイムズ駐車場に転用されてしまいました。もっとも、写真の手前に写っている線路が剥がされた横長の土地があると思いますが、これは側線が配置されていた部分です。どうやら、この線路一本分の土地が残されているのは、将来的に碓氷線を観光鉄道として復活させる希望を繋ぐために空けてあるようです。
旧・矢ヶ崎踏切の跡
↓北から南を向いて撮影↓
↑軽井沢方↑ ↓横川方↓
この踏切跡は、2006年の「嫌われ松子の一生」のロケ地になったことがあります。このフェンスより先は、JRの土地になっているようなので、手前から撮影しました。踏切の南側は、かつて通路があったようですが、現在は北陸新幹線の作業基地になっています。旧上り線の線路は既に剥がされてしまっていますが、旧下り線の線路は、踏切部分のみカットされていたものの、前後はそのまま残されていました。廃線から22年も時間が経っている割には、県境エリアで土地が手つかずになっているおかげで、ここまで当時の様子を留めているのは珍しい所だと思います。峠のシェルパことEF63の機関士だった方に訊くと、この踏切を越えたらいよいよ横川までの下り坂が続くトンネルが迫ってくるので、電気ブレーキが効くか毎回毎回、緊張感したそうです。
(つづき 加筆します)